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木曽川右岸用水の歴史
歴史案内 年表

 歴史案内
 
 美濃加茂市を中心とする木曽川右岸地区の受益地は、木曽川や飛騨川を目のあたりにしながら、段丘地形のため、その標高差は20m以上に達し、それらの河川から自然取り入れによる取水は非常に困難であった。また、地区内には大きな水源もなくもっぱら天水に依存せざるを得ず、ため池によるかんがいが発達していた。

 このような状況下において、昭和25年から昭和30年にかけ森山、米田及び川辺の三用水は、ポンプ揚水をそれぞれの目的として、地元の熱意と努力によって建設されたが、これらの用水は戦後の物資欠乏の折りに建設されたもので、工事は地元農民の勤労奉仕で建設されたといっても過言ではない。以下、各用水について、その計画と大要と経過の概要を記述する。


 1.森山用水
 
 森山用水は、昭和19年の干ばつで被害を受けた古井、太田、坂祝、蜂屋、加茂野の各町村が戦後の昭和23年3月に森山用水水利組合を設立し、同年6月に県営かんがい排水事業として着手したもので、受益面積は529ha で施設は美濃加茂市森山地先に揚水機場を設置し、飛騨川から実揚程35m、口径400弌■横娃hpのポンプ2台で0.7m3/sを揚水することとし、幹線用水路約6.2辧∋拈用水路約2.8辧∩躬業費3,850万円で昭和25年に完成したものである。

 この工事期間中は前述したように資材不足の状態であったため、使用資材の導水管であるヒューム管やセメント等については特別配給申請を行い、資材を調達しなければ入手不可能であった。また、完成直前の昭和25年3月には水利組合長から岐阜県知事に対して肥料の特配申請が行われている。「岐阜県土地改良史」によれば「県営森山用水改良工事が完成し、水源が確保されたので、地区内耕地の整備、特に末端水路の整備を中心に一部耕地の整備を自費で進めているが、耕土の移動による地力低下を防ぐため各農家は自給肥料の造成と少ない窒素質肥料の配給量だけでは施肥量があまりにも不足しているし食糧増産もおぼつかない現状である故、特に窒素質肥料硫安20トンの特配を申請します」と。


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 2.米田用水
 
 飛騨川左岸の加茂郡下米田(現美濃加茂市下米田町)では、大正初期に区画整理事業や暗渠排水事業を行い、農業基盤整備に対しての取り組みが進んでいた所であった。しかし、この区画整理されたほ場の水源は、ため池しかなく耕地の拡張も水源のためにままならない状況であった。

 その後、昭和10年代半ばに用水建設の気運が高まり、先進地である愛知県の明治用水油ヶ淵揚水機場などの視察を行ったが、下米田村単独では規模が小さく、事業化は困難であった。

 戦後の昭和23年に当地をおそった干ばつの際、揚水ホンプで飛騨川から揚水を行ったところ成功を収め、また、前述の森山用水の例もあり、これが米田用水建設へ発車をかけ、昭和24年9月、下米田水利組合が組織されて用水建設を推進することとなった。しかし、この時点での受益面積は約70ha と少なく、同組合は岐阜県の指導を得て受益面積の拡大をはかり、隣村の上米田村及び和知村の一部を受益として取り込み、受益面積124ha に広げ、昭和25年から県営事業として着手されることになった。

 米田用水の施設は、美濃加茂市下米田町地先の飛騨川に全揚程22.5m、口径300弌■隠娃hpのポンプ2台を設置し、0.36m3/sを揚水するとともに、送水管約640m、幹線用水路約3.8辧∋拈用水路約1.2劼魴設、工期は昭和25年度から昭和26年度で総事業費1,920万円であった。

 工事の施行は、主要施設であるポンプ場は業者が行ったものの、水路施設は受益農民が行った。 一方、岐阜県は、米田用水改良事務所を設け、所長以下4名により工事の指導を行った。


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 3.川辺用水
 

 岐阜県加茂郡川辺町は、他の町村と同様、地区内に大きな水源もなく、ことに上川辺地区ではため池を築造するような適地もなかった。このため干ばつになると雨乞いが行われ「岐阜県土地改良史」によれば、部落中の者が阿夫志奈神社に集まり、神社の下にある飛騨川の河原の砂を洗い神前に供える「砂あげ」神事を行い雨乞いをしたと記述されている。

 このような状況下で、昭和21年川辺用水の前身である用水計画が具体化した。これは、上川辺、中川辺、西栃井の3部落が共同して建設したため「三区用水」と称されており、川辺町石神地先に揚水機場を設け水路を開削した。しかし、前述のとおりに戦後の混乱期であり、資材不足のため水路は粘土と石灰に砂を混ぜあわせて造った「三和土」であったため耐久性を欠き、漏水も多く、また、ボンプも中部電力株式会社の払い下げ品であり、送水管については旧陸軍所属の鉄管を一時借用といった状態であった。

 これらの工事については、国や県の補助金も交付されないため、機場関係は建設業者が行ったものの水路の建設は3部落の農民の直営で行われた。この地区の農民にとっては農業を営んでいく上の必死の水源確保であったといえよう。

 しかし、昭和25年に完成した森山用水、昭和26年に完成した米田用水の施設は川辺用水の関係者にとっては目を見張ることがあった。これを契機として、川辺町は川辺用水の改良、増強を計画した。その結果、昭和29年5月、 受益面積317haの川辺土地改良区を設立、県営事業として進められることとなり、昭和29年度から昭和34年度の5ヶ年で総事業費5,200万円で完成した。主要施設は全揚程27m、口径350弌■隠娃娃襭のポンプ2台を設置して0.46m3/sの揚水をするとともに水路も6.0劼寮鞍をした。


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 4.木曽川用水事業への編入
 

 以上三用水については、木曽川用水事業の施行とともに同事業に編入され、昭和45年2月10日付けで森山用水土地改良区理事長渡辺栄一から水資源開発公団総裁柴田達夫あて、水利権放棄及び現施設の廃止についての同意書が提出されたのをはじめとし、2月19日には川辺町土地改良区理事長及び米田用水土地改良区理事長から同様の同意書が提出され、これらの用水は公団が建設した白川取水口に合口され取水されることとなった。

 木曽川右岸地区は、これらの比較的大規模な用水以外は小渓流に井堰を設け、取水するものばかりで木曽川用水の通水が待たれていた。なお、参考のため当時の水利事情を市町村別に井堰及びため池数によって示すと表の通りである。

■木曽川右岸地区の用水源別箇所数
市町村名 井堰 ため池 地下水 合計
美濃加茂市 35 96 3 134
坂祝町 1 11 0 12
富加町 13 8 0 21
川辺町 24 27 0 51
七宗町 7 0 0 7
八百津町 9 33 0 42
関市 2 21 2 25
91 196 5 292

 この頃の中部経済圏は飛躍的成長を遂げて、木曽川を含む木曽三川の利水域は名古屋、四日市を中心とする、伊勢湾臨海工業地帯にまで拡がり、この地帯の発展の鍵を握る重要な役割をもつようになった。

 このような経済の変遷は、木曽三川の性格を変えていった。過去の利水面では発電に重点が置かれ、かんがい用水は自然取水にたより、上水道も犬山市左岸で取水していた名古屋市のみで、工業用水は殆ど利用されていなかった。

 中部経済圏の重工業の発展に伴い、工業用水と上水道用水の需要が高まり、同時に農業用水の必要量も増加し、木曽三川の積極的な利水総合開発によって治水、利水、発電を総合した広域的見地からの利水解決が必要となってきた。

 こうした状況下で当地域は昭和34年の6月から8月にかけて希にみる大旱ばつにより、被害率33.6%という大きな被害を受けた。これが直接の発端となって水源の確保に意識が高まり農林水産省への働きかけとなった。地域関係者のこうした強い要望により、国営事業としての採択推進母体として、関係市町村によって昭和36年11月に現在の木曽川右岸利水協議会の前身である木曽川右岸用水期成同盟会が発足して一層の結束を計り事業達成へ前進することになった。

 そして昭和38年度より農林省木曽川水系総合農業水利調査事務所の美濃加茂分室が開設され、直轄調査が開始され、昭和39年から41年にかけて全体実施設計が実施され、昭和43年度末に計画決定となった。こうした経過を経て受益地関係2市5町にそれぞれ木曽川右岸用水土地改良区が昭和44年4月3日付けで設立認可となり、事業に対する地元体制が確立するとともに土地改良法第87条第4項に基づく法手続を経て、昭和44年7月1日をもって国営土地改良事業の計画確定となった。

 一方この事業の短期完成のため愛知用水事業の実績を踏まえ特別会計による水資源開発公団に事業実施を要望し、公団法による手続きを経て昭和44年12月25日に水資源開発公団へ事業継承がなされ、ここに待望の木曽川右岸用水事業が農業用水に都市用水を加えて着工なったのである。

 なお、水源である岩屋ダムが確定するまでの経過と概要についてはつぎのとおりであった。
昭和38年より木曽川右岸地区の直轄調査が開始される一方、農林省では木曽川総合用水事業としての飛騨川の下流区域の利水計画を検討されていたが、昭和38年5月時点で高根発電計画を上提する際にも、下流地域の利水計画との総合開発計画とすべきだとの意見も出されたが、利水計画が未確定であったため見送りとなっている。
こうした発電と利水との総合開発の動きはこの頃から盛りあがってきたといえる。

 高根発電計画と相前後して、昭和38年に通産省は岩屋地点を木曽川総合用水事業(農林省)との総合開発事業として調査に入った。農林省も昭和39年に岩屋を調査地点としてとりあげ、利水と発電の総合開発計画として検討され、同年9月に有効貯水量1億m3案が策定されて、土地改良法及び電源開発促進法による事業として実施すべく発電審議会に上提された。

 一方、木曽川の治水計画では、計画高水流量にせまる出水頻度と地域の開発状況からみて、流量改訂と上流部での洪水調節について検討中であったために、岩屋ダムの多面的運用を図るために利水事業者に対して治水計画が確定するまでは審議会への上提を保留するように申し入れが建設省よりなされ、昭和41年4月に経済企画庁を中心に関係各省で協議され一時保留となった。 建設省は治水計画の検討結果として、昭和41年6月に基本高水量の増補と岩屋ダムでの洪水調節が必要とした結論を出し、治水容量50,000千m3のダム計画を策定して各省に対し正式に治水事業の参加を申し入れるとともに治水分について昭和42年度予算要求がなされた。

 治水計画の参加申し入れに対して、各省庁で調整のうえ、昭和42年6月に水資源開発審議会木曽川部会で審議されて、有効貯水量1.5億m3の岩屋ダム計画が確立され、治水と利水と発電とが総合調整されたダムとして木曽川総合用水事業の一環として施行されることとなった。農林省もこの水源計画と合わせ全体実施計画がまとめられた。

 こうして岩屋ダム事業は、木曽川水系の洪水調節の一翼をになうとともに愛知、岐阜、三重の三県下の水道用水、工業用水及び岐阜県の木曽川右岸地区及び岐阜中流地区の新規かんがい用水の需要に応じた必要量の供給を行い発電を行う多目的ダムとしての総合開発事業として着工されたのである。

 岩屋ダムは前述のように昭和42年度に建設省において着手し、昭和44年12月水資源開発公団が承継して工事は中部電力株式会社に委託して施行され、昭和51年度に完成し昭和52年度より公団により管理されている。


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